高庵寺(こうあんじ)の沿革 ご本尊千手観音像(推定600年以上) 脇侍(推定200年強) 向かって左多聞天像(毘沙門天) 向かって右広目天像平成27年6月20日再更新

 

高庵寺の開山は、長林寺八世雲樵祖養大和尚であり、元和元年(1615年)、野州勧濃邨北袋地内、山口氏後邊地と記録にある。

万治年間(1658年から1661年)大水の被害により、記録類を含め流失している。

その折、高庵寺五世良察和尚が、現在地足利市宮北町8−7に移転したとある。

現在地は、明治・大正期、足利郡勧濃村本郷車塚と呼ばれた地で、高庵寺後背地の丘は勧濃車塚古墳という著名な古墳である。

記録によると、当地が千手観音の霊場であったことから、その観音を本尊として祭り、新たな観音霊場としたとある。

寛政7年(1795年)、高庵寺十世超海和尚代、本堂他を焼失したとの記述が見られる。

さらに、同11年(1799年)本堂の造営を開始し、享和年間(1801年〜1803年)に落慶している。

 

高庵寺の仏像の紹介。

仏像の右、左は、私たちから見てではありません。

仏様から見てですので、向かって右が左、同じく左が右と、逆になります。

 

ご本尊と脇侍(きょうじ)です。

ご本尊は千手観音(推定600年以上)と脇侍の多聞天と広目天です。

四天王の内2体が脇侍になっています。

四天王とは東西南北四方の守護神です。

「持国天(じこくてん)」「増長天(ぞうちょうてん)」「広目天(こうもくてん)」「多聞天(たもんてん)」です。

持国天は須弥山の中腹で東方の門、 増長天は須弥山の中腹で南方の門、広目天は須弥山の中腹で西方の門、 多聞天は須弥山の中腹で北方の門を守ります。

 

実際には、正面が隠れてしまうため、持国天は東南、増長天は西南、広目天は西北、多聞天は東北の方向に祀ります。

これが四天王を見分けるポイントです。

方位の五色では東が青色、南が赤色、西が白色、北が黒色です、残った中央は黄色です。

高庵寺の個人向け無期限永代供養墓「自在林」の青、赤、白、黒の4色もこれに対応しています。

ということで、高庵寺のご本尊の脇侍は、菩提門と涅槃門をお守りしているわけです。

 

確認いたしましょう。

向かって左、東北涅槃門を守る多聞天(毘沙門天)です。

 

向かって右、西北菩提門を守る広目天です。

高庵寺の脇侍は、右手に錫杖を持ち、左手には、多聞天は多宝塔、広目天は赤索(悪鬼を縛る縄)を持っています。

持ち物は時代によって異なるのですが、高庵寺の脇侍は非常に珍しい持ち物をもっています。

 

最後に四天王の見分け方です。

正直、持ち物や表情では見分けが難しいのです。

 

仏像のお顔の色をご覧ください。

白と黒ですね。

もう一度書きます、「方位の五色では東が青色、南が赤色、西が白色、北が黒色」です。

白いお顔は広目天、黒いお顔は多聞天です。

 

説明: 説明: 説明: b_ani010

 

検索でこられた方は、こちらをクリックしてください。トップページに戻ります。

 

平成26年3月31日を以て全ての整備工事が竣工いたしました。

今後数十年間に亘り、寄付の要請は一切ありません。

日本唯一のユニバーサルデザインの寺、安心してお墓をお求めください。

 

お葬式・ご法事・改葬(お墓のお引越し)・お墓の建立

お困りの方、なんでもご相談に応じます
メールでのお問い合わせはこちらから