自殺の自死への言い換え平成28年10月13日更新

 

宗教新聞の社説です。

自殺美化の危険 自分勝手に選べない選択肢

上記リンクは早晩切れます、その時のためWE魚拓を取ってあります。

要するに生の否定は「死」ではなくて「殺」なのだ。

これが論旨です、はたしてどうでしょうか。

 

生を辞書で調べると、「いきる」「いのち」「うまれる」等の意味です。

死は「生命が無くなる」「死ぬ」等です。

殺は「ころす」「あやめる」等です。

 

たしかに、生の反対が死ではありません。

では生の反対が殺でしょうか。

 

死は生の否定ではない

はいその通りです。

 

人の一生は「生誕」から始まり「死亡」で終わります。

生の終着点が死であり、その後は無です。

道元が「生也全機現 死也全機現」という所以だ。

 

この言葉は道元禅師のではないと思いますが…。

曹洞宗の基本的な考え方です。

正法眼蔵生死の巻より

 

とはいっても、「生の否定が殺」は無理筋ですよねえ。

 

「自殺」を「自死」へと言い換えてきた背景には残された遺族へのいたわりがあります。

それは自殺対策基本法に書かれています。

 

(基本理念)

第二条  自殺対策は、生きることの包括的な支援として、全ての人がかけがえのない個人として尊重されるとともに、生きる力を基礎として生きがいや希望を持って暮らすことができるよう、その妨げとなる諸要因の解消に資するための支援とそれを支えかつ促進するための環境の整備充実が幅広くかつ適切に図られることを旨として、実施されなければならない。

2  自殺対策は、自殺が個人的な問題としてのみ捉えられるべきものではなく、その背景に様々な社会的な要因があることを踏まえ、社会的な取組として実施されなければならない。

 

「自殺は殺人です」は疑問の無い真理です。

ただし、遺族や縁のあった方に深い心の傷を与えます。

 

「社会的な要因」に追い込まれ、自ら命を断つ人が多いのが実情です。

だから基本理念の第2項で強く訴えているんです。

 

自死という言葉を「自殺美化の危険」と捉えることは、いたわりに欠けます。

論旨は十分理解できますが、宗教者として書いて欲しくなかった社説です。

 

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