曹洞宗住職を罷免するって 本当に大変なんですねえ平成29年1月31日更新

 

曹洞宗の組織とは 住職にあたる管長とは 代表役員とは 審事院とは平成29年1月29日更新

 

曹洞宗住職としての基礎資格(教師資格や和尚の法階)を失えば住職でいられなくなります平成29年1月31日更新

この2つの過去ログの続きです。

宗内擯斥、分限剥奪の場合は住職の罷免が可能のようですが前回までの結論です。

 

曹洞宗審事院ではなく管長による住職罷免の規定があります。

これは任命権者が曹洞宗管長だからです。

 

もう一度曹洞宗の組織図の重要ポイントをみましょう。

この図を見る限り、曹洞宗のトップが管長であることは分かりますね。

曹洞宗の全ての役職の辞令は管長名で行われます。

 

「宗務総長が住職として不適当であると認めるとき」とありますね、つまり事実上の決定権は宗務総長にあることになります。

うーん、組織図からは内局(宗務総長と部長)と審事院は対等のはずなんですが、なぜでしょう?

 

もう一度審事院の役割を見てみましょう。

審判とあります、つまり即決定ということではないようです。

審判の結果を基に宗務総長が決定し、管長名で執行するということのようです。

 

それでは実例でみていきましょう。

神奈川県足柄上郡山北町山北363 曹洞宗種徳寺(シュトクジ) 罷免無効確認、損害賠償請求事件

 

民事訴訟です。

1審判決です。

原告は罷免された元住職A氏(以下Aと記載します)

被告は曹洞宗他ですが、主たる被告は曹洞宗なので、分かり易くするために曹洞宗に関するところだけにします。

 

刑事事件ではありませんから、被告が被疑者ではありません。

民事訴訟では原告は訴訟を起こした側、被告は訴訟を起こされた側ということだけです。

一般の方は被告という用語になんとなく悪いイメージを抱きがちなのでご注意を。

 

結論は被告曹洞宗の全面勝訴です。

つまり「住職罷免の処分を行つた」ことを裁判で追認しました。

曹洞宗管長によるの罷免」を認めたわけです。

 

裁判での最大のポイントは「原告がすでに檀徒大多数(種徳寺檀徒の届出数は275名であるが、実数は約400名でそのうち不信任檀徒は336名)から不信任されてその帰依を失つたうえ、反省もなく檀徒と事を構え、今後原告がその信を復活して円満に同寺の住職を続ける見込が立ない事態に至つた」のようです。

 

あれ、住職前回のブログにこうありましたよね。

宗内擯斥、分限剥奪にあたる内容はこれです。

不信任の署名はどの条項に該当するの?

 

( ̄∇ ̄;)気がつきました。

実は分限停止又は謹慎の項目にあるんです。

(6)の「体面を汚した者」ですか?

 

はい、そうですね、漠然としてますね。

原告は、昭和34年秋ごろから次第に寺をあけ、寺務を怠ることが多くなり、檀家の葬儀、法要等に欠礼すること数知れず」、「同年4月3日に寺をあけ同年6月2日まで行方が判らず、その間の葬儀、法要、施餓鬼会等の行事を組寺住職により辛うじて済ませた」とあります。

完全に「(7)正当な理由がないのに。寺院を離れ、長期にわたり住職としての職務を放棄したもの」にあたりますね。

 

ということで文句なしに分限停止に該当します。

住職、前回のブログで「(3)分限停止の場合は微妙です、これについては後で説明します。」と書いてあったよね。

はい、分限停止では一時的に住職としての基礎資格は停止されます、ただし消失ではありませんから、これを以て住職罷免は公序良俗に反する可能性があります。

この点だけを以て住職罷免はできない可能性の方が高いのです。

 

曹洞宗の主張は、

原告は、昭和34年秋ごろから次第に寺をあけ、寺務を怠ることが多くなり、檀家の葬儀、法要等に欠礼すること数知れず」、

原告とその親族は、住職を辞めてお詫びすると言明」、「辞任届の調印が強制されたため取消す」、

原告から審事院に調停申立があり、続いて紛議審判の申立があつた、中略、調停を試みたが失敗に帰した

檀徒大多数(説明略)から不信任されて、中略、今後原告がその信を復活して円満に同寺の住職を続ける見込が立ない事態に至つた

以上がポイントのようです。

裁判でも認められました。

 

控訴審より抜粋を引用します。

昭和35年初めごろから原告が行先を知らせずに寺を留守にすることがしばしばあつて、檀徒の葬儀法要その他寺務檀務に支障を生ぜしめたこと、とりわけ、昭和35年2月に15日間、同年6月30日から42日間、昭和37年4月3日から6月2日までの間原告の所在が不明で、檀徒総代らのほか警察を介しても捜索したこと、原告には婚外女性問題、負債問題があつて生活が乱れ、昭和36年8月には妻と協議離婚をしたこと、原告に対する檀徒の批判も昂り、被告呂男ほか檀徒総代などが忠告諫言を重ね、昭和35年8月には原告から文書による更生の誓約書を徴したこと、再々原告の進退を問題にする檀徒世話人会が開かれたこと、昭和36年12月の葬儀欠席を機会に原告不信の声が強まり、昭和37年1月の世話人会でも強硬な意見が支配したが、「もう一回我慢する」ことに落着いたこと、その直後の失踪ならびに6月2日帰山後に住職辞任を承認しながら辞任を撤回したことに檀徒の感情が極度に悪化したこと、ついに昭和37年7月8日までに檀徒大多数から原告不信任の署名が集まり、同月12日に原告罷免の歎願書が曹洞宗宗務庁に届けられたこと、他方原告から同宗審事院に同年9月20日後任住職選定妨害排除の審判申立があり、審判を重ねて翌38年4月4日申立却下の審決があつたこと、原告の失踪中、種徳寺の檀務は同寺の本寺(本家)香集寺住職被告重田ほか同一教区の組寺住職8名が代行していたが、原告の最後の失踪の際昭和37年5月被告呂男ら総代の依頼で被告重田ほか組寺住職が相談し、被告重田を責任者としほか2名の住職が種徳寺の檀務を代行することとしたこと、昭和37年6月2日の原告帰山後も、原告と対立する檀徒の意を受けて被告重田らが種徳寺檀徒の葬儀法要を執行したこと、原告からその中止の通告があり、昭和38年1月9日曹洞宗審事院に被告重田について住職権侵犯による懲戒申立があり、前記の審判に至つたこと、昭和37年秋ごろ被告重田からの問合せを受け、曹洞宗内局庶務部長は不信任の住職から葬式などして貰いたくないという檀徒の心情を察すると特別の場合だからやむをえない旨伝えたことが認められ、これに一部反する原告本人尋問の結果ならびに原告の供述を記載した各書証はそのまま採用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

 

うーん、読んでいて目がチカチカしますねえ。

ようするに「原告本人尋問の結果ならびに原告の供述を記載した各書証はそのまま採用できず」、ようするに元住職A氏は信用できないという裁判所の判断です。

 

これじゃあ、「(1)3年以上の懲役又は3年以上の禁錮の刑に処せられた者」以外は罷免が難しいですねえ。

曹洞宗天の声

この筆者のブログを読むとよくわかります。

 

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