葬儀で導師が陰膳を禁止 そらあまずいわ平成29年11月27日更新

 

葬儀の席で、導師が「私の宗派では陰膳は禁止です」、せっかく用意されていた陰膳を片付けさせた。

遺族の一人が憤慨して、葬儀社の方が運営しているサイトに質問をし、サイトでもその僧侶への批判が集まっていました。

この動画です。

 

 

ほとんどの僧侶はうるさいことは言いません。

例えば清めの塩ですが、仏教的には明らかに間違いです。

この点については宗派の差はありません。

 

曹洞宗の僧侶である高庵寺住職も過去ログで書いています。

忌中のとき 神棚は封印をします 仏壇も閉じるんですか?平成24年1月28日更新

 

ポイントを再掲します。

第一、  浄土真宗や浄土宗では、忌中自体を迷信としています。

したがって、清め塩も絶対に認めません。

 

住職も、こちらの方が正しいと思っています。

ただ、そこまで目くじらを立てて、ギスギスした葬儀になっては、本末転倒だと思いますので、質問されない限りお話ししません。

 

浄土真宗の僧侶の方のサイトで清めの塩についての記述を見ると、例外なく同じようなことが書いてあります。

清め塩の考えは、死を穢れ(けがれ)とすることからきているといわれますが、仏教では死を穢れととらえていません。

清め塩をする行為は、生前に縁の深かった方を穢れとして受け止める姿があります。

 

浄土真宗に限らず全ての仏教宗派で同じです。

私の過去ログから再掲します。

 

神道では、赤穢(せきえ)と黒穢(こくえ)といい、大きな二つの穢れがあります。

赤穢(せきえ)は、血の穢れで、出産や生理を意味します。

黒穢(こくえ)は、死の穢れです。

もちろん、黒穢が最大の穢れです。

ということで、黒穢の期間は、実質的な禁足生活をするわけです。

だから忌中、物忌みの期間なんです。

 

もちろん、仏教にはそんな考え方はありませんでしたが、神仏習合の時期があり、仏教の中に49日の考え方が取り入れられました。

ただし、仏教では忌中の考え方はありません

 

忌中がないのですから、当然清めの塩はありません。

坊さんの本音は「清めの塩はおかしいから止めて欲しい」です。

ということで、高庵寺住職も葬儀社の方には「清めの塩は仏教的にはおかしいから止めてもらえないかなあ」です。

葬儀社の方の回答はたいていこうなります、「ご住職のおっしゃる通りなんですが… なかには無いとおかしいと怒られる方もおりますので…」(◞‸◟)

 

神道の方の葬儀の場合は清めの塩は必要です。

それが神道の考え方ですから。

浄土真宗の葬儀の場合は、足利でも住職が明確に禁止をしています。

熱心な信者の方には当たり前でしょうが、少なくなったとはいえ、会葬者の中には「清めの塩が無いのはおかしい」と感じる方もおいでになるのも事実です。

葬儀社の方にお聞きしたところ、そんなときは「ご住職様の指示でございますので…」、これで解決しているとのことです。

 

ただし、最初に提起した陰膳の場合は清めの塩とは状況がかなり異なります。

高庵寺住職も陰膳がおかしいとは思っていません。

陰膳の基本的な考え方を書いた過去ログです。

陰膳(かげぜん)は葬儀や法事のときだけに用意するものではありません平成29年10月30日再更新

 

ポイントだけ再掲します。

陰膳とは、その場に居ない方の無事を祈って、通常通りに食事を用意する習わしのことです。

ご葬儀やご法事だけとは限りません。

PKOで戦争地域に派遣された自衛隊員のご家庭で陰膳をご用意されるというお話も聞きました。

結婚披露宴で亡き両親と喜びを分かち合いたく、用意される方もおります。

 

現在では陰膳を用意されるのは、葬儀や法事の後の食事(お斎といいます)のときです。

葬儀の後の食事は、普通は「精進落とし」といいます。

このとき、故人のために陰膳を用意します。

 

大昔は、故人に限りませんでした。
むしろ、旅に出た家族の無事を祈り(昔の旅は、文字通り命がけでした)、同じものを食べるという同席意識を持つためのものだったのです。

故人があたかも生きていて、あたかもそこにいるかの如く陰善を用意する。

故人を囲んで、生前の思い出を語り合いながら会食する、本当のご供養です。

けれど故人は食べられません。(あたり前ですね)

 

それで「○○さん、お腹いっぱいで食べられないんですね」「残ったお食事、もったいないから持ち帰って私たちで頂きます」。

これが陰善の意味です。

 

もう二本過去ログです。

法事の後の食事(お斎)をお願いした業者に 陰膳をご用意しますかと聞かれました 必要なんでしょうか?平成28年12月28日再更新

 

陰膳って必要?平成28年12月1日更新

 

仏教には全く関係ありません。

完全な習俗です。

むしろ、仏教本来の考えからすれば、間違っています。

 

でも、仏教的に間違っているからと、目くじらを立てるのもどうかと思います。

そんなことを言っていたら、お葬式自体が、仏教とは本来関係ないんですから。

 

ここです、最大のポイントは!

葬儀は本来宗教ではなく習俗なんです。

ここを見誤ると宗教者として間違いを起こします。

 

もう少し再掲します。

 

ご用意するのなら、必ず持ち帰り、家族でいただきます。(これをお下がりと言います)

これなら、陰膳の意味があります。

 

捨てるんじゃ、陰膳の意味がありません。

だって、同席意識が陰膳の意味ですから。

捨てるくらいなら、最初から用意しない方がいいんですが…。

食べるのが供養ですから。

 

故人があたかも生きていて、あたかもそこにいるかの如く陰善を用意する。

故人を囲んで、生前の思い出を語り合いながら会食する、本当のご供養です。

けれど故人は食べられません。(あたり前ですね)

 

それで「○○さん、お腹いっぱいで食べられないんですね」「残ったお食事、もったいないから持ち帰って私たちで頂きます」。

これが陰善の意味です。

 

実は浄土真宗の考え方でも陰膳は禁止ではありません。

代表的な浄土真宗の考え方を書きます(曹洞宗の僧侶が書くのはおかしいのですが…)。

 

仏事でも故人のためのお膳を用意する宗派はある。(曹洞宗もそうです)

浄土真宗は「即得往生」(そくとくおうじょう)の教えである。

死ぬと同時に阿弥陀仏におさめ取られて仏の仲間入りをし(往相回向)、阿弥陀仏の浄土で仏となったら直ちにこの娑婆(現世)へ還り至り(還相回向)、念仏を勧めて皆さん方を導く。

 

なんか分かりにくいですね。

簡単に書くと、「亡くなると同時に仏様になる」という教えです。

仏様ですから、「故○○さん」ではないから、陰膳は必要ないが浄土真宗の考え方です。

 

ポイントは「必要ない」です。

禁止ではありません。

 

浄土真宗の布教師さんのブログにありました。

浄土真宗では「清めの塩」を配布しないのが本来である。

ただし色々な方が会葬する大都市部では清めの塩もやむを得ない。

遺族や親族が故人を穢れと扱うことは厳禁する。

 

「清めの塩」については、配布は禁止していません。

遺族や親族については明確に禁止しています。

これは遺族や親族は信者(門徒と言います)だから禁止。

それ以外の方はしょうがない。

つまり他宗教や他宗派への寛容です。

やっぱり布教師さんクラスは違いますなあ(^∀^)

 

陰膳についてはもう少し寛容です。

「必要ない」ので、用意する必要はありません。

ただし、これを行うことで故人やご遺族に害を及ぼすということではない。

 

ようするに、曹洞宗の僧侶も含め、一般の方が考えるような故人ではないということです。

故人ではなく、仏様ですから「陰膳は必要ない」ということです。

したがって葬儀の祭壇(祭壇とは言わずに、浄土真宗では葬儀壇と言っています)に「霊膳」や「コップに入った水」等は用意しません。

仏様にお供えする「仏飯」は用意いたします。

曹洞宗でいうところのご本尊様へのお供えと同じ考え方です。

 

こう見てくると、浄土真宗であっても、一度用意された陰膳を禁止して、片付けさせるのは明らかにおかしいです。

葬儀社の方は「物には言い方がある」と批判されていましたが…。

言い方ではなく、動画の僧侶の対応は、僧侶と基本的な立ち位置に問題ありです。

 

陰膳をどうしても認められないのなら、事前に直接ご遺族か、葬儀社を通して、浄土真宗の考え方をお伝えして、遠慮して頂くようにすべきです。

それでもどうしても用意したいと言われたのなら、認めるべきです。

厳しいようですが、普段からの浄土真宗の教えを伝える力が不足していたのが原因ですから。

 

最後に、このブログはけっして浄土真宗を批判するのが目的ではありません。

宗派に関係なく、大部分の僧侶は善良です。

ごく一部に問題僧侶がいることも事実です。

実際に曹洞宗住職の問題もなんども書いています。

私自身の勉強の題材として取り上げさせて頂きました。

 

image012

 

検索でこられた方は、こちらをクリックしてください。トップページに戻ります。

 

平成26年3月31日を以て全ての整備工事が竣工いたしました。

今後数十年間に亘り、寄付の要請は一切ありません。

日本唯一のユニバーサルデザインの寺、安心してお墓をお求めください。

 

お葬式・ご法事・改葬(お墓のお引越し)・お墓の建立

お困りの方、なんでもご相談に応じます
メールでのお問い合わせはこちらから