法事の意味 誰のため なんのためにするの? 現役僧侶がお答えします平成30年7月26日更新

 

まず法事ということばの説明から。

3回忌とか7回忌等だけが法事じゃないんですが…

これも説明するとややこしくなるんで、年回忌のこととして書いていきます。

 

これまた細かいことですが…

みなさんの法事(3回忌としましょう)のイメージはなんですか?

まず、自宅やお寺でお坊さんにお経を挙げてもらう。

その後、墓参り。

最後に参加した人で食事(お斎と言います)。

 

住職、うちは家族だけでやるんで食事はなしだよ。

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、最近はおひとりの場合もありますからねえ(^^)

 

WEBで調べると、たいていこう書いてあります。

法要とは、遺族が故人を偲び冥福を祈るために行う「追善供養」のことを指します。

法要は一般に「法事」と呼ばれていますが、厳密にはお経をあげてもらう追善供養を「法要」と呼び、追善供養の後席の会食まで含むものを「法事」と呼びます。

 

IT屋さんのサイトがたいてい上位に出てくるんですが…

上記の内容は、某有名出版社のサイトから無断引用です。

住職のポリシーとして引用元は明示することにしてるんですが…

これから「ここ変だよ」ですからねえ(>_<)

 

見た範囲ですべてのサイトで「厳密には法要と法事は別です」と書いてありました。

まあ間違いではないんですが…

いちおう高庵寺住職の過去のブログです。(何本も書いているんで、一番閲覧数の多いブログです)

法事の後の食事(お斎)をお願いした業者に 陰膳をご用意しますかと聞かれました 必要なんでしょうか?平成30年3月7日更新

 

法要とこのお斎を併せて法事と言います。

 

ははは、法事でも問題はありません。

法要の後、墓参りをしますね。

法要と墓参をセットでも法事になるんです。

 

実は法要(お坊さんにお経を挙げてもらう)だけでも法事になるんです。

本当は「法事=法要」なんです( `дー´)

 

このことを理解するためには、「法事は誰のため?」から、考えるのが一番簡明です。

遺族が故人を偲び冥福を祈るために行う「追善供養」」、けっこう微妙な表現ですねえ(-_-;ウーン

 

わが曹洞宗の公式見解です。

法事とは、本来お釈迦さまの教え、仏さまの心を知るということでしたが、しだいに仏事儀礼、行事、そして故人への供養(追善供養)を勤めることが、一般的に法事と呼ばれるようになりました。

 

したがって供養とは、施主が、仏さまに飲食や花をお供えし、また読経をすることによって、善根(良い行い)の功徳を積むことです。

 

その功徳を回向(えこう:たむけること)することによって、ご先祖さまや故人に対し、さらに、すべての人びとの冥福を祈り、あわせて、自分を含むすべてのものが仏道を成就することを願うものです。

 

高庵寺住職は「追善供養」の考え方はあまり好きではありません。

浄土真宗では特に明確に否定しています。

 

さすがに曹洞宗の公式見解です。

故人への供養(追善供養)を勤めることが、一般的に法事と呼ばれるようになりました

肯定しているような…、否定しているような…

どちらとも取れるような表現ですなあ( _)

 

自分を含むすべてのものが仏道を成就することを願うもの」、宗派にかかわらず、この立場は仏教界の代表的な考え方ですね。

その通りなんですが…

檀家の方にお話ししたときに、理解してもらえないんですよねえ(;´д`)

 

それでは高庵寺住職の考えです。

法事は施主(主催者)を含め、参列(参加)された方全員のためです。

 

つい最近も参列者お一人の法事を務めさせて頂きました。

そのときにも、法事の本来の意味をお話しさせて頂きました。

 

高庵寺住職は、葬儀でも法事でも必ずお話し(法話)をさせて頂きます。

お坊さんの本当のお仕事は布教です平成30年2月1日更新

法話をしないんじゃ、お坊さんが法要をする意味がないと思っているんですが…

 

特に言いたいことは「参列(参加)された方全員」の中に、お坊さんも入っていることです。

だから「自分を含むすべてのものが仏道を成就することを願うもの」になるんですよ。

 

現在、高庵寺では法事は住職と副住職で行う場合が多いです。(どちらかが公務等で不在の場合もあります、そのときは一人です)

そのため、お坊さん二人、参列者一人の法事でした。

施主はもちろん、お坊さん二人も功徳を積ませて頂きました。

 

それでは故人は?

 

はっきり書きます。

分かりません。

 

これはきちんと書くとものすごく難しいんですが…

お釈迦様は「死後の世界の有無」については、明確に語ることを拒否されました。

もう少し詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。

「人の霊魂は永遠に不滅である、という考え方が、仏教でもキリスト教でもあります。」 初耳です 驚きました平成23年7月29日加筆

 

故人が法事をすることにより功徳を積むことができた(これが追善供養です)かどうかは、実は分かりません。

じゃあ意味がないか?

あります( ・`ー・´)

 

追善供養になったかではありません。

追善供養になったと信じることが大切なんです。

故人の供養のためになったと信じることが大切なんです。

 

高庵寺住職も葬儀の法話で「故○○様は、必ずお浄土に辿りつきます。安心してお見送りください。」とお話ししてます。

浄土真宗でも、往生浄土が語られてますが…

 

曹洞宗の僧侶が言うのもおこがましいのですが、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」と言われています。

これは「浄土がある」ということよりも、「信ずるほかに別の子細なきなり」が主題と思います。

つまり浄土があると信じているということです。

 

キリスト教などでは「天国はある」と聖書に書かれていますが、仏教では「浄土はあると信ぜよ」が正しいと思っています。

 

法事でも同じです。

法事が故人の供養になったかどうかは分かりません。

供養になっていると思う、ご自分の心が大切なんです。

「故人の供養と思う自分の心」が功徳なんですね。

 

お一人で亡き母の法事をされた施主にもお話ししました。

「故人と縁のあった方」ができるだけ多く参列する方がより良いとは思いますが…

お一人でも十分なんですよ。

 

法事には故人と縁のあった方が、集うことにより、思い出を語り合ったりして、故人への思いを深めたり、故人への感謝の気持ちを深める機能があることも事実です。

でも一人でもそれはできます。

 

一人だろうが、30人であろうが、実際の故人は既におりません。

一人一人の心の中に生きています。

それぞれが自分の心の中の故人と向き合うのが法事なんです。

人数が多ければ、思い出話や会話の中で、そのことがより簡単になります。

その意味で人数が多い方が好ましいのは事実です。

でもそれだけのことなんですよ。

一人であっても十分に可能なんです。

 

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