お釈迦様の説かれた本当の仏教とは?平成30年7月28日更新

 

最初にいきなり結論を書いちゃいますと…

よく分かりません。

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、本当なんですよ。

いろんな学者さんや僧侶の方が「これが真の仏教だ」と書いてますが(_?)

 

これで終わりというわけにはいかないので、高庵寺住職の考えを書きます。

このブログはコメントを受け付けない設定になってますので大丈夫ですが…

あったら、いろんな人から批判が来るでしょうねえε〜( ̄、 ̄;)ゞフー

でも、そのコメントは本人の信ずる立場からの単なる意見です。

 

そもそもお釈迦様がいつ頃生まれたのかも分かりません。

高庵寺住職は「今から2,500年くらい前に生まれました」と書いてますが、主流は約2,600年くらい前のようです、ま、枝葉末節な話です。

最大で100年以上差があり、将に諸説ありです(^^)

100に近い説があるそうです。

お釈迦様に関してほぼ確実なことは、実在の人物だということです。

 

世界3大宗教の仏教・キリスト教・イスラム教の開祖が実在人物であったことは、ほぼ確実です。

100%確実なのはイスラム教の開祖モハンマドだけですが…

 

イエスキリストはキリスト教の教義によれば、通常の夫婦関係によらず、聖霊によってみごもったとされています。

私には信じられません。

なぜならクリスチャンじゃないからです。

「イエスキリストが神の子」だと信じられる人がクリスチャンで、そうであれば上記のことも信じられるのです(_?)

 

住職、単なる屁理屈じゃないの???

そう思われても仕方がないですね。

でもこれが宗教の論理なんです。

宗教の論理って、乱暴に言うと「トートロジー」なんです。

 

はっきり書くと「信じられるか、否か」の2択です。

これ以上でもこれ以下でもありません。

これが大前提です。

 

お釈迦様の教えに最も近い仏教を「原始仏教または初期仏教」と言うそうですが…

一時期、スリランカから「パーリ語」の経典が発見され、その研究が進んだ結果、「これが本来の仏教だ」ともてはやされた時代もありました。

中村元先生の著作は読むと確かに魅力的です。

 

現在ではその経典は、お釈迦様の死後千年くらい後に編纂されたことが定説になっています。

千年経ってますから、お釈迦様オリジナルの教えとは程遠い教えなのは確実です。

 

そもそも、世界3大宗教全てが、開祖がその教えを文字で残していません

一番オリジナルに近い教えが残されているのはイスラム教です。

 

諸説ありますが、仏教が2500年くらい前、キリスト教が2000年くらい前、イスラム教は1400年くらい前の宗教です。

イスラム教成立のころは文字で残せたはずですが、開祖ムハンマドは文盲でした。

ということで、信者たちが開祖の言葉を書き留めました、当然人によりバラバラです。

後に取りまとめられたのがコーランです。

 

取りまとめた人が宗教的に優秀だったのは、他の異本を全て廃棄させたんですね。

それでコーランは上記の内容だけで済みました。

 

キリスト教の聖書(新約の方です)は、いくつかのものをまとめていますので厚い本1冊くらいです。

 

仏教は( ̄□ ̄;)!!

図書館が必要なくらいなんです…llllll(-_-;)llllll

 

普通なら教義の争いで全滅ですね。

そうならなかったのは、キリスト教等の一神教と異なり、仏教は「教義が絶対である」という要素が少なかったからです。

 

まず、仏教には「キリスト教の神」であるような絶対神は存在しません。

仏教は知恵の宗教である。

仏教は「気づき」の宗教である。

そのように言われるのは、根本的にそのような特質があるからなんです。

 

ということで最初に戻ります。

「お釈迦様の説かれた本当の仏教とは?」、回答「分かりません」。

 

ではどうするか?

経典の一つに有名な一説があります。

アーナンダよ。このようにして、修行僧は自己を灯明とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるのである。

アーナンダよ。今でも、また私の死後にでも、誰でも自己を灯明とし。自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、彼らは私の修行僧として最高の境地にあるであろう、−誰でも学ぼうと望む人々はー。」(二十六)(大パリニッバーナ経』二)

 

意味は、「自己を灯明とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法を拠り所として、他のものを拠り所としない」です。

ようするに自分でよく考えなさいです。

 

曹洞宗をはじめとする禅宗では、良き師に巡り合うことが重要だと言ってますが…

オーム真理教の麻原以外の元死刑囚は…

 

ということで、良き師に巡り合うって本当に難しいんです(╯••╰)

高庵寺住職のお奨めは、「自灯明」です。

自分で考えることです。

良き師に巡り合えれば、それだけ仏教に対する理解が深まるのは早くなります。

 

わが曹洞宗の開祖道元禅師も宋の国へ行き、いろいろな僧侶に教えを乞いました。

やっと如浄(にょじょう)禅師と巡り合えて悟りの境地に達したとされています。

 

凡夫である私たちが自分の求める師に巡り合えるのは遥かに困難です。

ですから、自分の頭で精一杯考えるのが一番と思います。

 

仏教の経典は「図書館が必要なくらい」と書きました。

現在まで生き残っている経典は、全て本物の経典です。

 

もちろん、ある経典と別の経典で書いてある内容が正反対ということもあります。

 

一例をあげます。

こちらの過去ログに書いたんですが…

人の霊魂は永遠に不滅である、という考え方が、仏教でもキリスト教でもあります。

 

少し引用しましょう。

仏典ではどうでしょうか?
住職の考えでは、仏教である限り、中阿含経(マッジマ・ニカーヤ)は、否定できないと考えています。

その中の第221経、「箭喩経」、有名な「毒矢の例え」の一節をご紹介します。
面倒な方は、読み飛ばしてください。

釈尊が舎衛国の祇園精舎におられたときのことである。
鬘童子という者にこういう思いが生じた。

「もし世界が常住であるとか、常住でないとか、
 
世界に限りがあるとか、限りがないとか、
生命と身体は同一であるとか、異なるとか、
如来の死後はあるとか、ないとか、それとも有ってないとか、
有るのでも なくないのでもないとか、
はっきりとこれは正しい、これは間違っていると説いてもらえると修行もしやすいのだが」と。

そこでこれを釈尊に申し上げると、これを叱って、次のように説かれた。

もしそんなことに思い煩っていると、その結論を得る前に命終ってしまうだろう。

それは例えばこのようなものだ。

ある人が毒矢を射られて苦しんでいるとしよう。
そこで親族は医者を呼んだ。

しかしその人の言うよう。
まだ矢を抜いていけない。
この矢を射たのは何という名で、カーストは何で、弓の材 料、矢の材料、その色、弓矢を作った職人の名、生まれ、年格好などが判らないうちはと。
そうこうしているうちにその人は死んでしまった。


東洋大学森ゼミHPより引用


丁寧な訳だと、もっと長いのですが、煩瑣になるだけです。
興味のある方は、ご自身で検索ください。
「毒矢の例え」で検索すれば、いくらでも出てきます。

結論を言うと、お釈迦様は、「人の霊魂は永遠に不滅である」か、という問いに、そんなことは、考えても無駄だから止めなさいと言ったのです。

住職が、仏教が好きな所以です。

この考えはあくまでも高庵寺住職の考えに近い経典です。

 

実際には真逆の経典もいっぱいあります。

代表的な一つが「法句経(ほっくきょう)」「ダンマパダ」にあります。

ちょっとだけポイントを引用しましょう。

 

悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、二つのところでともに憂う。

彼は自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。

善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、二つのところでともに喜ぶ。

彼は、自分の行為が清らかなのを見て、喜び、楽しむ。

 

他にも輪廻転生を書かれている経典はけっこうあります。

これは釈迦や後の時代のインド人(現在の意味でのインド人ではありません)が当たり前に信じていることでしたから。

 

ね真逆でしょう(^^)

心配ありません。

どちらも経典にあります。

本当の仏教の考え方なんです。

 

ですから自灯明、つまり自分の頭で考える必要があるんです。

 

高庵寺住職は捨置記を自分の仏教の要に据えました。

いくら経典を勉強しても、どちらが本当かは分かりません。

分かったように書いている方は、単にその方の仏教の理解がそうであるということだけです。

 

もう一度書きますが、これが一神教と仏教の最大の違いです。

「死後の世界の有無」は宗教の最大のポイントの一つです。

一神教では、必ず統一され、異論は存在しません。

 

どちらが本当のお釈迦様の教えかは絶対に分からないんです。

イスラム教の「他の異本を全て廃棄」がもの凄いことであることが分かりますね((((((ノ゚听)ノヌオォォォ

 

高庵寺住職が僧侶だからではなく、一人の人間として仏教が大好きなのは、この自由さ、自灯明にあります。

「お釈迦様の真の教えはなにか?」などということは学者さんにお任せすれば良いんです。

みなさんも自灯明でご自分の仏教を求められてください。

これこそ仏教の一番の良さだと思います。

 

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