川崎市の殺人事件に思う2019.6.9

 

このブログは書こうか書くまいか悩んで書きました。

 

事件は大半の方がご存知と思いますが、概要を引用しておきます。

 

川崎市多摩区でスクールバスを待っていた私立カリタス小の児童らが殺傷された事件で、自殺した岩崎隆一容疑者(51)=同市麻生区=が襲撃時に所持していた包丁4本のうち2本は、2月に購入したとみられることが1日、捜査関係者への取材で分かった。

岩崎容疑者に“ためらい傷”がなかったことも判明。

凶行は3カ月以上前に計画され、自殺を決意して決行した可能性が出てきた。

 

ためらい傷」を辞書で調べるとこうあります。

 

刃物などで自殺を図ったものの死にいたらず、からだに残った傷。

 

自殺を図ったものの死にいたらず」とありますが、実際には死に至っている場合もあります。

 

高庵寺住職はむかし高校教師をしていました。

そのとき、何人ものリストカットをする生徒と関わり合いを持ちました。

ためらい傷」を実際に知っております。

 

別のサイトには「ためらい傷」について、もう少し納得できる解説がありました。

 

ためらい創(ためらいきず)とは、法医学上の用語で、自殺時の致命傷に先立って付けられる浅い切創のことである。

逡巡創(しゅんじゅんきず)とも呼ばれる。

自殺者は生への未練や死への恐怖などから、まず心臓や手首に何度か刃物を浅く刺してみて、その後にズブリと深く刺しこみ、自殺を決行することが多い。

これが「ためらい創」と一般に呼ばれるもので、致命傷となった創の近くに数本のためらい創が残されていた場合、自殺である可能性が高いといえる。

なお、本人の死後に他者が致命傷近くに浅い切創を作ったとしても、生活反応がなく明確に判別できる(死後の切創と判る)ため、この方法で死亡状況をごまかすことは出来ない。

 

うーん、こちらの説明の方が納得できます。

ただし「法医学上の用語」では、「」ではなく「」になるんですね。

 

本当に数人なんですが、実際に自死をされた方も、未遂で終わった方も知っております。

未遂に終わった方に自死をしようとしたときのお気持ちをお聞きしたこともあります。

数が少ないので確かだという確信はありませんが…

全く同じことお話しされてました。

 

「死にたかった」んじゃなく、「逃げたかった」んだ。

「このまま死んじゃえば楽になるかな」、そう思ったら「いつのまにか自殺しようとしてた」という内容です。

 

高庵寺住職にも似ている経験があります。

住職と高校教師の二足の草鞋を履き、過労死寸前でした。

特に、教育困難高の生徒指導部長をしていて、他校の生徒指導の先生からも心配されるような学校が荒れた時期です。

通勤途中で「このまま事故で死んだら楽になるなあ」という気持ちがなんどかよぎりました。

後で思えば、軽い希死念慮だったようです。

 

事件の「ためらい傷の無い」自殺の心境というのはどういうもんなんでしょう。

ご本人から聞くことは不可能です。

 

もちろん、最大の被害者は「運悪く被害にあわれた20名の方」です。

「運悪く」は不謹慎な表現ですが、それ以外の表現方法を知りません。

「なんの落ち度もない」の表現も見られますが、「じゃあ落ち度があればしょうがないんか」になります。

そのうえでの、犯人の心情です。

 

仏教には「三毒」という考え方があります。

「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」です。

 

WIKIから引用します。

三毒

読み方

サンスクリット語

パーリ語

意味

とん

rāga, ラガ

lobha, ローパ

貪欲(とんよく)ともいう。むさぼり(必要以上に)求める心。一般的な用語では「欲」・「ものおしみ」・「むさぼり」と表現する。

しん

dvea,

dosa, ドーサ

瞋恚(しんに[1])ともいう。怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現する。

,

moha, モハ

moha

愚癡(ぐち)ともいう。真理に対する無知の心。「おろか」と表現する。

 

読めばお分かりと思いますが、三毒の中でも人を不幸にする最大の要因は「瞋」です。

「貪」は「瞋」の最大の因です。

その「瞋」を滅するための最大の障壁が「癡」です。

 

仏教の最大の目的が、三毒を滅して「涅槃」の境地に達することです。

「涅槃」がサンスクリットの「ニルヴァーナ」に拠ることは確実です。

問題は「ニルヴァーナ」の意味なんですが…

 

一番正しいと思っている解釈です。

サンスクリットはインドヨーロッパなんで、日本語だと理解するのが難しいんです。

「ニルヴァーナ」は「Null」「burn」なんです。

つまり「炎が完全に消えた状態」を表す言葉です。

 

煩悩の炎が完全に消え去った状態を意味する言葉です。

「三毒」の「貪・瞋・癡」が完全に消滅した状態を言います。

 

もちろんそんなことは不可能です。

特に難しいのが「瞋」です。

 

新聞報道等を読んでいると、「瞋」の炎に全身を焼かれて、地獄のようになっている加害者の状況が目に浮かぶようです。

己が焼かれるばかりか、あまりの業火に、無関係の人まで焼いているように思えます。

ただただ「哀れ」を感じるのみです。

 

ここまでの「瞋」に、なぜなってしまったのか?

未然に防止することは不可能だったのか?

「癡」にヒントがあるような気がします。

 

仏教には限りませんが、己の「癡」を知るようなチャンスが加害者の人生のどこかにあったらと感じています。

実際には不可能に近い状況だったんでしょう。

 

立川志らく氏の「死にたいなら一人で死んでくれよ! ということですよ。なんで子どもの弱い そういうところに飛び込んでくるんだ! 信じられない!」

これは己の「癡」を知る機会を完全に閉ざす発言です。

お気持ちは理解できますが、未来の類似の事件を防止することはできません。

 

非常に冷酷な表現ですが…

被害者の命、加害者の命、回復することは不可能です。

もちろん命は助かっても、事件にあわれた方、そのご家族等の心の傷は私には推し量ることすら不可能です。

酷い表現ですが「手遅れ」です。

 

過去を追うな。

未来を願うな。

過去は過ぎ去ったものであり、未来はまら到(いた)っていない。

今なすべきことを努力してなせ。

『中部経典』

 

お釈迦様の教えです。

未来を願うな」は願ってはいけないということではないと思います。

なぜなら「今なすべきことを努力してなせ」だからです。

 

過去を追うな」も同じです。

取り返しのつかない過去をいつまでも悔やむなということだと思っています。

 

過去に学んで、希望の未来を思い描き、そのために「今できることをする」ことだと思っています。

そのためにこのブログを書きました。

みなさんはどう思われますか?

 

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