洪水への対策 自然との共生2019.10.19

 

前回のブログで高庵寺は洪水に強いと書きました。

その理由は沿革に書いてあります。

 

高庵寺の開山は、長林寺八世雲樵祖養大和尚であり、元和元年(1615年)、野州勧濃邨北袋地内、山口氏後邊地と記録にある。

万治年間(1658年から1661年)大水の被害により、記録類を含め流失している。

その折、高庵寺五世良察和尚が、現在地足利市宮北町8−7に移転したとある。

現在地は、明治・大正期、足利郡勧濃村本郷車塚と呼ばれた地で、高庵寺後背地の丘は勧濃車塚古墳という著名な古墳である。

記録によると、当地が千手観音の霊場であったことから、その観音を本尊として祭り、新たな観音霊場としたとある。

寛政7年(1795年)、高庵寺十世超海和尚代、本堂他を焼失したとの記述が見られる。

さらに、同11年(1799年)本堂の造営を開始し、享和年間(1801年〜1803年)に落慶している。

 

高庵寺の地図です。

いつ頃かは不明です。

 

 

が両毛線です。

この区間の両毛線の開業が1888年(明治21年 小山駅 - 足利駅間開業)ですから、それ以降の地図です。

 

太く黒い線が川です。

 

青く囲まれたところが高庵寺です。

 

緑ののあたりが旧高庵寺跡地だったそうです。

現在の地図を挿入します。

 

 

今は袋川は真っすぐです。

カスリーン台風の被害の後、直線状に河川改修が行われたからです。

 

大水になれば、川は緑のの袋状の部分をショートカットし、直線状に流れようとします。

旧高庵寺が「大水の被害」になんどもあったのは当たり前です。

記録類を含め流失」も当然ですね。

 

昔ですから、水を得やすい場所が重要なはずです。

それでも大水の被害の無かった現在地へ移転したんでしょう。

 

現在のように強固な堤防を築き、自然を力づくでコントロールするのと違い、自然との共生の考え方です。

その頃は現在の学校のような避難施設もありませんでした。

おそらく大水のときの地域の避難所としての機能も高庵寺にはあったんでしょうねえ。

 

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: image012

 

検索でこられた方は、こちらをクリックしてください。トップページに戻ります。

 

平成26年3月31日を以て全ての整備工事が竣工いたしました。

今後数十年間に亘り、寄付の要請は一切ありません。

日本唯一のユニバーサルデザインの寺、安心してお墓をお求めください。

 

お葬式・ご法事・改葬(お墓のお引越し)・お墓の建立

お困りの方、なんでもご相談に応じます
メールでのお問い合わせはこちらから