父の蜜柑 小祥忌 祥月命日の思い出平成22年11月22日更新

 

本日、11月22日は先住、亡き父の祥月命日(しょうつきめいにち)です。
ちょうど1年前の今日、住職は父を亡くしました。

あの日は日曜日で、法事も2件入っており、ちょうど2件目の法事をしているとき、救急車のサイレンが近くで聞こえました。


参列の方も、なんとなくざわついていましたが、私は、そういえば近所の○○さんのお父さん具合が悪いって言っていたな、××さんの家でもそんなこと言っていたな、などといたって呑気に構えておりました。

法事も終了し、庫裡へ戻ると、母が血相を変えて、父が□□病院へ救急車で搬送されたこと、女房が付き添って行ったことを、興奮しながら話してくれました。


私も、急いで着替えて病院へ行くと、父はベッドにおりましたが、看護婦さんが困って女房と相談しているところでした。

実は父は認知症がかなり進んでおり、点滴の針を外してしまうのです。

そこで看護婦が身体拘束をして良いかという相談でした。
いやもどうもありません、お願いしますとお話をいたしました。

その後、夕刻まで病院にいたのですが、医者の話では、1月前に比べて、心臓が急激に肥大しているので、尿の量を検査したいとのことでした。


その後色々あったのですが、結局父はおしめをされて、ベッドで完全身体拘束されることになりました。


認知症が進んでいたとはいえ、おしめは赤ん坊の時以来でしょう、私にトイレに行きたいんだと頼むのです。


かわいそうでしたが、「じいちゃん、もうすぐ良くなるから我慢してね」と言い聞かせるしかありませんでした。
結局、睡眠薬を入れて、おとなしくさせることになりました。

夕刻6時くらいに父も眠ったので、家で一息入れて、夜もう一度来ようと女房に話し、家で食事をし、「じいちゃんも2、3日で退院できるだろう。」とくつろいでいました。

夜8時を少し回ったところで、病院から緊急の電話が入りました。

「お父様のご容態が急変いたしました。

夜7時の巡回のときはごく普通で、お話をされていたのですが、先ほど8時の巡回をいたしましたら、呼吸をしておられません。」

青天の霹靂とはこのことです。

それからは嵐のような毎日でした。


その後、今年の3月末で、長年勤めた県立高校の職を辞し、直ぐに立ち遅れていた寺の整備に取りかかったため、毎日毎日が下りのエスカレーターを駆け上がるような日々でした。

今朝、亡き父の祥月命日ということで、ふと蜜柑のことを思い出し、仏壇にお供えをし、住職もいただきました。

おせじにもおいしい蜜柑ではありません。もぎたての爽やかな香りこそあれ、酸味の強い蜜柑です。
昔、亡き父が縁日で買ってきた苗を植えて、それが育った蜜柑です

 

私の記憶の中では、幼いころ既に食べていた思い出があります。
いつ頃父が植えたのか分かりませんが、還暦間近の住職の記憶にある蜜柑です。


50年以上は経っているでしょう。
亡き父の思い出の蜜柑、ほのかな甘みと、酸味に父の思い出がよみがえり、仏壇の前で読経しながら、胸がいっぱいになりました。

人の命には限りがあります。

だからこそ尊いのですが。

 

叶わぬこととはいえ、もう一度亡き父の笑顔を見、声を聞きたいという思いがあふれました。


「父さん、あなたからお預かりしたこのお寺、檀家の皆様や多くの方々に支えられながら、必ず次の代に引き継ぎます」
「いずれ、私もそちらへ参ります。そのとき、ゆっくりお話をしましょう」

 

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