曹洞宗の葬儀 一番のメインは秉炬(ひんこ)仏事です平成30年2月27日更新

 

このブログの元となった住職のブログです。

YAHOO知恵袋 回答の信憑性・正確性は保証しませんとあります平成24年9月27日更新

この回答者の火葬場の回答です。(別の質問です)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1493564149

風習としては、県単位より更に狭い範囲なような感じで、西日本を中心にチラホラあるようです。

昔の火葬は薪を燃料としていて、地方によっては簡易な炉でや野焼きに近い形式の火葬でした。

 

その当時の火葬では、喪主が薪に火を点ける仕来りがあった所も多いようです。

実際の薪火葬の映像で、白の裃姿の喪主が火を点けるシーンを見た事もあります。

 

その名残として、点火ボタンがある地域もあります。

点火ボタンの他に、柩を炉に納める際に、松明のような葬具(名前はあったような覚えもありますが忘れました)を柩の上に置いて炉に納めるというとこもあります。

これも喪主が火を点けていた時代の名残ではないかと思います。

 

この「松明のような葬具」が法炬(ひんこ)です。

画像は高庵寺の先住(私の父です)の本葬のときの物です。

 

曹洞宗の僧侶の葬儀では、秉炬仏事と言って、葬儀のメインになります。

お寺の大きさによって、3仏事師から9仏事師まであり、正式には9仏事師ですが、普通は3仏事師です。

一般の葬儀の導師にあたり、秉炬師がタダの導師ではなく大導師になります。

なぜなら、この法炬仏事師が引導法語を唱えるからです。(一般的に引導を渡すと言います)

 

この法炬は必ず一対有って、大導師と小師(葬儀の喪主です)が同時に使います。

この事から推測できるのですが、昔は導師(僧侶)と喪主が同時に火をつけたのでしょう。

この画像は、この後の魚拓に記載してありますが、数少ない現存する野焼きタイプの火葬場です。

これなら、導師と喪主が同時に法炬で着火するという本来の火葬が可能です。

ただし、現在はダイオキシンの問題等が有って、実際に使われることは無いと推測しています。

 

葬儀というのは、死者を弔うものですが、亡くなられた方のためにするものではありません。(建前上は死者のためです)

家族や親せき、全ての縁のあった方のためにするものです。

「しっかりとお別れをする」ために行うものです。

 

曹洞宗の宗典修証義」の最初の一節です。(宗典はお経ではありません)

「生を明らめ死を明きらむるは、仏家一大事の因縁なり」

「人をはじめ、生あるものは必ず死にます。生と死の本質を明らかにすることが、仏教徒として一番大切なことです」というような意味です。(訳者により色々です、これは住職の解釈です)

 

ここに葬儀の本来の意味が凝縮されていると思います。

単純な真理です。

亡くなった方とは、二度と会うことはできません。

このサヨナラが「本当に最後のサヨナラ」なんです。

愛する人の死を、残された人が乗り越えていくためには、「しっかりとお別れをする」ことが一番大切なんです。

そのために、宗教者の存在があると信じています。

 

その意味からも、昔の導師と喪主が同時に法炬で着火するというのは、素晴らしい葬儀法だと思います。

その名残として、点火ボタンがある地域もあります。

これは宗教者としての力量が一番試される火葬場ですね。

 

非常に珍しい実体験のブログを見つけました。

しかも亡くなられたのは幼いお子様です。

親としてこれほど辛い出来事は無いでしょう。

失礼ですが魚拓を取らせていただきました、ブログへのリンクも魚拓から貼ってあります。

ぜひお読みになって下さい。

火葬の着火ボタンを遺族が押すタイプの火葬場 その生々しい体験談

 

高庵寺住職は葬儀のときに、炉前の読経を最重要視する理由です。

お前が導師のとき、子どもを亡くした親にしっかりとお別れをさせられることができるか?

宗教者としての力量が一番問われる瞬間だと思います。

 

幼子を亡くした方のための和讃(仏教の讃美歌のようなもの)に、賽の河原地蔵和讃というものがあります。

あまりにもインパクトが強いために、曹洞宗ではお唱えすることがなくなりました。

 

ご紹介します。

注:歌詞は数パターンあります、その一つです。

 

賽の河原地蔵和讃

 

これはこの世のことならず

死出の山路の裾野なる

賽の河原のものがたり

 

この世に生まれ甲斐もなく

親に先立つありさまは

諸事の哀れをとどめたり

 

二つ三つや六つや七つ

十にもたらぬ幼児が

賽の河原に集まりて

苦しみ受くるぞ悲しけれ

 

娑婆とちがいて幼児が

雨露しのぐ住家さえ

なければ涙の絶え間なし

河原に明け暮れ野宿して

西に向いて父恋し

東を見ては母恋し

 

恋し恋しと泣く声は

この世の声とはこと変わり

悲しき骨身を透すなり

 

ここに集まる幼児は

小石小石を持ち運び

これにて回向の塔を積む

手足石にて擦れただれ

 

指より出ずる血の滴

身体を朱(あけ)に染めなして

一重積んでは幼児が

紅葉のような手を合わせ

父上菩提と伏し拝む

 

二重積んでは手を合わし

母上菩提回向する

三重積んでは古里に

残る兄弟わがためと

礼拝回向ぞしおらしや

 

昼はおのおの遊べども

日も入相のそのころに

冥途の鬼があらわれて

幼きものの傍により

やれ汝らなにをする

 

娑婆と思うて甘えるな

ここは冥途の旅なるぞや

娑婆に残りし父母は

今日七日や二七日

四十九日や百箇日

 

追善供養のその暇に

ただ明け暮れに汝らの

形見に残せし手遊びや

太鼓人形かざぐるま

着物を見ては泣き嘆き

 

達者な子どもを見るにつけ

なぜにわが子は死んだかと

酷やあわれや不憫やと

親の嘆きは汝らの

責苦を受くる種となり

 

かならず我を恨むなと

言いつつ金棒振り上げて

積んだる塔を押し崩し

汝らが積むこの塔は

歪がちにて見苦しし

 

かくては功徳になりがたし

とくとくこれを積み直し

成仏願えと責めかける

 

やれ恐ろしやと幼児は

南や北やにしひがし

こけつまろびつ逃げ回る

 

なおも獄卒金棒を

振りかざしつつ無慙にも

あまたの幼児にらみつけ

すでに打たんとする陰に

幼児その場に手を合わせ

熱き涙を流しつつ

ゆるし給えと伏し拝む

 

おりしも西の谷間より

能化の地獄大菩薩

動ぎ出でさせ給いつつ

幼きものの傍により

 

なにを嘆くか嬰児よ

汝らいのち短くて

冥途の旅に来たるなり

娑婆と冥途は程遠し

 

いつまで親を慕うとも

娑婆の親には会えぬぞよ

今日よりのちは我をこそ

冥途の親と思うべし

 

幼きものを御衣の

袖や袂にだき入れて

憐れの給うぞありがたや

 

いまだに歩まぬ嬰児を

錫杖の柄にとりつかせ

忍辱慈悲の御肌に

泣く幼児を抱きあげ

助け給うぞありがたや

 

良い動画ありませんね。

一つだけご紹介します。

 

地蔵和讃について、なんどかご紹介した葬儀社の方が論じてました。

説得力がありますね。

幼子を亡くされた葬儀は僧侶の力量が一番分かります。

 

ということで、高庵寺住職は葬儀で火葬の瞬間、ご遺体が火葬炉に入る瞬間を一番大切にしています。

ところが足利には火葬の最中に、お水かえと言って、遺族等が入れ代わり立ち代わりコップの水を炉前のテーブルに置くという奇習があります。

これは動画じゃないと分かりにくいんですが、とにかく火葬の雰囲気をぶち壊す困った奇習です。

最近葬儀社のスタッフの力量が急に落ちてきたようなんですが平成29年12月29日更新

 

そこで上記過去ログにあるように、葬儀社のスタッフへのプリントを新たに作成しました。

こんなこと、葬儀のなにが大切なのかを葬儀社のスタッフが共有していれば、必要ないお願いなんですけどね(_ _|||)

 

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